説明: Harada

    

 

説明: http://homepage3.nifty.com/sinrin/0001.gifまんまる新聞掲載コラム

説明: http://homepage3.nifty.com/sinrin/c006lin.gif


2016年04月29日号

最近の入れ歯事情

最近、軟かい入れ歯はどうなのですか?と聞かれることが多いのですが、入れ歯に限らず何にでも当てはまることなのですが、一見とても良さそうなものにみえても、長所短所は必ずあるものです。表面的なことだけでなくその物の特性を良く知ったうえで選ぶことが何より大事かと思います。
 見た目も良く軟かいので、入れた直後は快適でも、長期的にはいろんな不具合が生じてくるようです。入れ歯は決して値段や素材ではなく力のコントロールを的確にすることが大事なのですが、軟かい素材の入れ歯はそれが非常に困難です。日本補綴学会でも、現在のところは推奨しておりません。一方保険の入れ歯は、一度入れ歯を作ったら、転医したとしても、その後半年間は新しい入れ歯を作ることができない制度になっています。何度調整しても合わない時など、違う歯科医院にかかりたくても、修理だけで行きにくいと遠慮するせいか、半年間ずっとがまんしてから新しい入れ歯を希望される患者さんがいらっしゃるのには驚かされます。さぞや長い期間つらい思いをされていることでしょう。もし、そのような状況になったとしても、修理だけでも受け付けてくれる歯科医院はあると思いますので、あきらめずに早く修理か調整をしてもらうとよいでしょう。がまんしていると、噛み合わせにも異常な癖がついてきます。入れ歯を支える大事な土台の骨がすり減ってきたりして、ますます入れ歯が合いにくくなってきますので、注意が必要です。


 

2015年10月09日号

入れ歯が合わない人へ

 高齢者社会に突入してきました。健康寿命も長くなってきた現在、総入れ歯になって久しい方も増えてきたかと思います。意外なのは、どんなに入れ歯が痛くても我慢して使い続ける人がとても多いということです。入れ歯を作った時にいくら調整しても治らないので、こんなものかとあきらめて義歯安定剤に頼る人も多いようです。安定剤は、適合した入れ歯に使う時には、とてもよい効果をもたらしてくれますが、合わない入れ歯に使うと、かえって土台となる顎の骨がやせていくので、顔の形も老人様顔貌となりやすく、入れ歯もますます合わなくなってきます。いくら作っても、入れ歯が割れたり、ひびが入る人、調整をしてもしても痛みがある人は、ほとんどの場合、噛む位置がかたよっていて、その人本来の噛み合わせの位置でないことが多いようです。いくら高いお金を出して作ってもらっても、間違った位置で作ると入れ歯は合わないのです。痛いところを削るだけでは治りません。その噛み合わせの正しい位置は、義歯に精通した歯科医なら感覚だけで分かる場合もあるのですが、それでも器械を使って確認したほうが良いとされています。総入れ歯は噛み合わせさえ正しい位置であれば、上の入れ歯はたいてい吸い付いていますが、下の入れ歯に関しては、その人の顎の形や、筋肉、粘膜の状態、唾液の出方、噛む力、噛み癖などで、吸い付き方に違いがでてきます。吸い付いた入れ歯でなくても、痛みさえなければ噛み方を工夫することによって、噛むのが楽になっていくことが多いのであきらめずに、もう一度歯科医のところで診なおしてもらいましょう。


2013年03月01日号

入れ歯…にむけての提案

高齢化現象で、当院も義歯(取り外しの入れ歯)の患者さんが増えてきました。できるだけ痛くないように、噛めるように、外れにくいようにと心がけて治療していますが、見た目も大事なことです。特に総入れ歯は顔貌を左右しますが、作る時に何も希望をおっしゃらない患者さんも多くいます。今更顔形を気にしてもしかたないとか、歯科医に遠慮して言いだしにくいとか、男女を問わず我慢してだまっている患者さんのなんと多いことか。今更ながら思い知らされ、驚くと同時に反省もしています。それでも前述のすべての条件を満足させるような入れ歯を作るのは、患者さんの顎の形次第では至難の業となることも多々あります。けれど、思い切って希望だけでも歯科医に伝えてみませんか?いくつになっても外見に気をかけるエネルギーは、その人の若々しさを保つ原動力となるものでしょうから。

2011年01月14日号

入れ歯の調整について

日々の診療で気付くことは、入れ歯を一旦作ったら、そのままずっと使い続けるものだと思っている患者さんが多いということです。具合良く使えるようになるまで調整が必要なのは言うまでもありませんが、入れ歯は使っているうちに噛み合わせが変わってきます。多くの方はだんだん前歯が先にあたるようになり、はずれ易くなってきます。それでも無理に使い続けると、入れ歯を支える顎の骨が吸収して、ますます合わなくなってきます。 新しい入れ歯を作ったら、最初は1ヵ月、3ヵ月、その後は半年おきに噛みあわせの調整をしてもらいましょう。はずれやすくなってきたら、歯茎が痩せてきているから作り直さないといけないと思っている方でも、意外にも調整だけで治る場合もありますよ。



随筆



負け惜しみでなく

1997年 随筆春秋社発行「平成の随筆」掲載
(一部改訂)

 自分の職業を名乗ったとたん、相手からいとも無邪気に「きゃーっ、私、大嫌い!」と面と向かって言われるような職業なんて、あまりないだろう。
 先日「刑事コロンボ」を見ていたら、犯人にだけは徹底的に冷酷であっても、普通の人には優しいはずのコロンボが、私の同業者に向かって遠慮会釈もなく「わたしゃ、大嫌いでねえ!」などと、電波に乗せて全世界に言い放っていた。
 どんなに鈍感な人間でも、また、実際にどんなに嫌われる仕事であったとしても、普通は嫌悪感をはっきり口にだしては言わないものである。
その理由はきっと相手が傷つくからであろう。
 しかし、我々だけは何を言われても決して傷つかないと思うのであろうか?実に思い切り「だいきらいです!」と言ってくれる。
 私達も私達で、「あはは、そうでしょうね。かえって好かれると気持ち悪いですからぁ・・・などと、しかたなく愛想交じりに相づちを打ち続けてきた。
 けれど、この仕事を続けてきた十数年の間、あまりにも嫌いだと言われ続けるので、最近は「そんなにはっきりいわなくてもいいんじゃない?」と、背を向けながらつぶやきたくなる。説明: http://homepage3.nifty.com/sinrin/hello.gif
 少しは傷ついているのである。
 そんな職業とは、・・・・・?
 そうです。当然あなたも大嫌いなあの「歯医者」のことです。
 映画やテレビに出てくる歯科医師はサディスティックな役か、悪徳医師 といった役が多い。
 女性にもてるかっこいい主人公には決してしてもらえない。
 やはり、歯科医師というものは、世間の印象がかなり悪い職業なのであろう。
 そのくせ、たいていの男性歯科医には美人の奥さんがいる。
 ステレオタイプの歯科医が必ず持っているもの・・・・それは、外車と美人妻である。
 ことに元スチュワーデスともなると、もうそれだけでステータスなのである。
 たまに、美人でない奥さんを持っている気の毒な歯科医もいるが、そういうケースは私の場合も含めてたいていは夫と妻が同業者である。
 きのどくに・・・・・・
 きのどくといえば、我々女性歯科医にも歯科医ならではの悲しいサガがつきまとう。
 かってホストクラブというものがはやっていたころ、景気のよい先輩女医さんが連れていってくれたことがあった。
 ふつうならハンサムな男性達に囲まれて、陶酔状態になるべきなのだろうが、人を見る時はつい口許に目が行ってしまう。
 私の場合、歯並び、歯茎の色、虫歯のあるなしをしっかり見届けた後顔の作りにはいるのである。
 今思えば、最初で最後の貴重な経験であったのに、不幸な事に私の横に座ったホストは前歯が一本みごとに欠落していた。
歯抜けで堂々とホストができるのは、先進国では日本くらいなものであろう。
 もっとも、他の先進国にホストクラブなるものがあるかどうかは知らないが・・・
 悲しいかな、そこでわたしの職業意識がにわかに目覚める。
 その歯抜けホストの前歯をなんとかしたくてたまらなくなる。
 子供の耳の穴に大きな耳垢を見つけた時、それを取りたくて取りたくてうずうずするように、歯抜けを見つけた時は、それを埋めたい埋めたいという欲望がむらむらと胸の中に燃え上がり始めるのである。
 そして、ムードたっぷりに演出されたクラブのライトの中で、歯科医の私は、しつこく笑いかけてくるホストのものたりない口許を一心不乱に見つめ続けている。
 こうなると、彼らのどんなお世辞も頭に入らない。
 陶酔どころではないのである。
 なんで、ホストクラブに来てまで、ホストの歯抜けの説明: http://homepage3.nifty.com/sinrin/t_beer.gif心配をしなくてはならないのだろう。
 因果な職業だと、改めて思う。

 しかし、歯科医師という仕事は、十分に私の性にあっている。
 女性でよかったと思う事もしばしばである。
 先日、幼児を膝に乗せた患者さんを診療している時、その子供がぐずり始めた。あまりに甲高い声で泣きまくるので、他の患者さんに迷惑がかかる。
 お母さんは、「げんこつやまのたぬきさん」を歌いだした。子供はぴたっと泣くのを止めた。
 しかし、母は歯の治療をする為にここに来ている。歯の治療中は歌など歌えない。
 けれど歌を止めると再び狂ったように泣き出す。だから母は歌い続けねばならない。
 折りしも歯形を取る為の印象剤が練り上がってきた。うかうかしているとすぐに固まってしまう。昨今印象剤も高価である。
 仕方がないので、歌っている最中の母親の口にやおら印象剤のトレーをつっこんだ。案の定、子供の顔は次第に歪み始めた。「オーメン」の子役を連想しそうな形相である。
 どうしたものか・・・・・・
 残された道は只一つ、私が替わりに歌うのである。
ということで、不肖私が母親から歌を引継ぎとっくりと美声を聞かせてあげることになった。
 子供は変な顔をしてるが、とりあえず黙っている。
 母から私へのみごとな連携プレーによって、つつがなく診療は終わる事が出来た。
 ただし、他の患者さんにとって子供の泣き声と私の歌とどちらが迷惑だったかは定かではない。


 この程度の融通であれば、簡単であるが診療内容も材料も日進月歩のこの世界、相当頭が柔らかくないと、規制概念に凝り固まったまま時代の流れに取り残される。
 かといって、新しい技術や新開発の機器にすぐ飛びつくのも危険である。
 先だって、ある最新機器が開発され、マスコミは色めきだって特集を組んでいた。なにしろ、この機器を使うと、治療が痛くないというのである。
 有名大学の教授自ら、はっきりと「痛くありません」と天下のテレビ画面で宣言していた。
 後で、その教授の教室で研究している人に直接聞いたところによると、痛くないのは浅い虫歯だけで、やはり深い虫歯には痛いらしい。しかも、痛さの程度も現在汎用されている機器とほとんど変わらないという。
 痛くないという宣伝をたよりに、遠くからその教授のその機器による治療を希望して集まって来た患者さんは少なくないと思う。
「そんな患者さんがやっぱり痛いと知った時、どうするのですか?」と問うと、その人は「説明すれば分かってもらえますから」と、いとも簡単に答えてくれた。
 不思議というべきか、患者さん達はすぐに納得してくれたというのだが、たとえ、患者さんは納得してくれたにせよ、公共のテレビを使って「痛くない」と言い切ったからには、それなりの責任があると思う。
 かの教授の発言はていのいい詐欺行為にも近しい。
説明: http://homepage3.nifty.com/sinrin/erikosanta2.jpgこんないいかげんな言動がなぜ、世間に深く追求されないのであろう。
 こういうところに「まあ命には関係しないからどうでもいいか」という歯科医療に対する世間の潜在的な評価が反映しているような気がする。
 同じ世界の人間としてこれは悲しい事だと思う。
さらに、歯科が命に関係ないなどとは決してないのである。
我々は、投薬や麻酔によるショック死、手術後の感染死、治療中の誤飲による窒息死などを警戒して常に細心の注意を払っていなければいけない。
おまけに、本来別の病因で突然死した人が、たまたまその日に歯科を受診していた場合、真っ先に疑われるのは我々の治療ミスである。
 そんなことにならないためにも、患者さんの体調にはかなりの気を使わなければならない。
 世間の評価以上に責任のある仕事である。
だからこそ、とてもいとおしく、かわいげのある職業であるともいえる。


 他にもこの仕事の良さはいろいろ列挙できるが、本音をいうと歯科医師になって心からつくづくと良かったと感じるのは、自分で自分の治療をするときである。
 上顎臼歯部はさすがに無理だが、鏡を利用して下顎の治療はほとんど自分でする。
 休日に診療室を独占して、大好きな「オペラ座の怪人」のCDをボリュームアップして聞きながら痛くないように、じっくり治療をする。
なんだかんだといっても、私自身が声を大にして「歯医者は大嫌い!」と叫びたい人間だったのだ。
 その、この世で最もいやな歯の治療を、自分の力で、最適な環境で、最高の心遣いでできる。
 こんな芸当は、どんな偉人であろうが、どんなに人気のあるスターであろうが、決して出来ないだろう。うふふ、どんなもんだい。・・・・・と思いながら、無上の喜びにたっぷりと浸る。
 ところどころ「オペラ座の怪人」の曲の合間の「ギャーッ」という叫び声が、いかにも歯科治療の雰囲気をかもしだす。
 ホストクラブででも味わえなかった自己陶酔の醍醐味がそこにはある。
時には、自分で自分の歯を抜こうとして抜けずに、真夜中に他の歯科医の世話になったという切ない歯医者のはなしもきくが・・・・・・
 とにかく、嫌われるという難点はあっても、感謝される事もあれば、自己陶酔に浸る事も出来るありがたい職業をもつことができて、本当に幸せである。

  説明: http://homepage3.nifty.com/sinrin/line051.gif


説明: http://homepage3.nifty.com/sinrin/photo12.jpg
   

 どこでも歯磨き
             2000年随筆春秋第十四号掲載

 先日、あるホテルのサウナに入った。
 洗い場には歯ブラシが置いてあったので、喜んで早速歯磨きを始めた。
 私の場合、歯科医師という立場上、歯磨きは徹底している。一度始めたら二十分は磨く。寒くなったので、磨きながらつい湯船に入ってしまった。
 自分としてもこのスタイルにはさすがに抵抗感はあったが、歯磨きこそ人類が編み出した最高の文化であると信じる私には、いつ、どういう場合であろうと臆してはならないという使命感もあっての行動である。
 すると、すかさずサウナ側から「他のお客様のご迷惑になりますのでお止めください」とクレームがついた。説明: http://homepage3.nifty.com/sinrin/t_typeb.gif
 すごすごと洗い場に引き返しながら考えた。
他人の迷惑とはどういう点がめいわくなのであろう?
私の場合、歯磨きしながら涎など流さないし、唾も飛ばさない。うがいはもちろん洗い場の溝にする。実質上何一つ他人に害は与えないはずだ。
 しかし汚い磨きかたをする人は多い。そういう人は他人も同様と思うのだろう。
ある行為が一般的に人に不潔感や不快感を与える事がありうる時は理屈はどうあれ直ちにやめるべきではある。
電車の中での化粧や携帯電話での会話、路上のナントカずわり、公衆の面前での男女の抱擁なども、確かに他人に害は与えない。
けれど、一般論として、この上なく見苦しい。自分が決してしない事であればあるほど不快感を覚えるものである。
 しかし、ケイタイの所有率が急上昇している昨今、所かまわずいきなり大声をだし一人で話し出す人がいても誰も気にかけなくなっているようだ。(変質者との区別がつきにくいので、ちょっと困ったことであるが・・)
 ということは、多少変わった事でも、多くの人が始めれば誰も気にしなくなるという事ではないだろうか?
 それに気付いた時から、私はある壮大な野望に執り付かれ始めた。
 いつから、どういう理由でそうなったのか、定かではないが、押し並べて人々には歯磨きは洗面所でなすべきもの、という固定観念がある。洋の東西を通じて、どうもそうらしい。
私は、一歯科医として、この固定観念を打ち砕き、徹底した「どこでも歯磨き」を世間に普及させ、湯船だろうが、電車の中だろうが、合コンの席だろうが、堂々と歯磨きの出来る理想卿を作るべきではないのだろうか。
ただし、不可欠の条件がある。それはいかにもさわやかに美しく磨くということだ。
 できれば、見る者に「な、何と見事な!」と唸らせるほどの所作を身につけてほしい。
 人の口腔内は、その人物の心の映し図であると信じているので、もしこの野望が実現すれば、さぞ口も心もきれいな人達が増えて、この世は良い世の中になることだろう。
ここまでいい気になって空想に耽ったところで、はっと現実に戻った。
 そんな理想卿が出現したら、世間から、虫歯も歯周炎も確実に激減してしまうではないか。
 それは、我々歯科医が路頭に迷う事をも意味する。
なんと、我が壮大なる野望は、我と我が手で自らの首を絞める事だった。
 人類百年の明日を睨んで大義の道に踏み出すべきか、今日の一家の糊口を保つ為に、旧来の慣習を苦い思いで座視し続けるか?
輝かしい二十一世紀の入り口の片隅で、頭を挙げては大義を思い、頭を低れては糊口を思う、そんな一歯科医の今日このごろである。

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           肩書きのない世界
          
          2001年第7回随筆春秋賞佳作受賞

            随筆春秋賞ー随筆春秋社主催
選考委員ー佐藤愛子氏,早坂暁氏,金田一春彦氏,斎藤信也氏,堀川とんこう氏

 

  生来、歌って踊ることが大好きであった私は少女の頃、宝塚スターを夢見ていた。

しかし、身長制限もあってそれも到底かなわぬ夢と知った時から、あっさりと夢は捨て、堅実な職業を選んで歯科医師となった。

これも私なりに天職と思ってはいるのだが、悲しいかな歌と踊りとは縁もゆかりもない。しかたがないので、ミュージカルなどを観る側になって一応は満足していた。

 一方、数年前から札幌ではよさこいソーラン祭りが爆発的に盛んになってきた。歴史の浅い祭りにも関らず、年毎に熱狂の渦が広がってきているようだ。 テレビなどで、その繚乱ぶりが報道される度に、我を忘れたように踊り呆けている人々が心から羨ましいと思った。若さと健康が満ち溢れている。

最初は、若い人達だけの祭りだと思って、 到底私のような中年が参加出来るなどとは考えてもみなかったので、実際の踊りを目の当たりにすることはむしろ避けていた。あの祭りの中で黙って見ているだけというのはまことに悔しいからである。

しかし、最近、老若男女問わず参加できるチームも多々あると耳にした。「多分まだ遅くないだろう」齢四十八の私は健康的にも頭脳的にも今が最後のチャンスかもしれないと一念発起して、なんとか練習場が通い易い所にあるチームを選び、恐る恐る申し込みに行った。

若い人達が多い中に、一人で参加するというのはかなりの勇気を要する。それでも、私の祭りに参加したいという熱意の方が勝っていた。

最初は基本的な曲で覚え易い踊りだったせいもあるが、憧れのよさこいソーランがやっと踊れたと満足しきって楽しんでいた。

が、問題はそれからだった。

よさこいソーランは、私のような者が年々増え続けているので、チームも増える。増えると練習場の確保が難しくなる。最初は通い安い場所だったはずが、だんだん遠い所になっていく。今年の新しい曲と振り付けが出来てからは練習が週に二回だったのが三回、四回と増えていく。しかも、頗る複雑で難しい。

ある日、難症例の急患がたて続けに入ったので、かなり私の頭も疲労困憊していた。

その日はこともあろうに、JRと地下鉄と市電を乗り継いで行かなければならないところに練習場があった。それでも、皆より少しでも遅れまいと、くたくたになりながらもやっとの思いで目的地にたどり着いた。

着いたとたん、遅刻したせいもあって、コーチの言うことが全く理解できず、何回も同じ注意を受けた。

その日からである。一人の女子高生のおばさんハラスメントが始まったのは。

彼女が言っている内容はいちいちもっともな事なのであるが、言い方が、叱り付けるようにきついのである。しかも、目を合わせずに私の後ろから聞こえよがしに、(だから年寄りは困るんだ)というような言葉の投げつけ方は常軌を逸している。

最初、私は耳を疑った。 幸か不幸か、私の人生で人から馬鹿にされたことが一度もなかったからだ。

中学時代いじめのようなめにはあったが、それは嫉妬からくるものだと思って却って満足感を覚えたものだった。

しかし、今回は状況が違う。容貌にしろ、年齢にしろ、彼女が私に嫉妬しているとは到底考えられない。こりゃあ純粋に私を馬鹿にしているんだと気付いて唖然となった。

その時、私がつい思った事は、以下のようなことである。

(この私が!いつも周囲の人から先生と呼ばれているこの私が、どーして脳みそがルーズソックスと一緒に下にずり落ちているような女子高生に、ぼんくら扱いされなきゃならないの?)

それでも、私が先生であるなどと彼女は知る由もないが、知ったところでそんな事など、体力や記憶力共に絶頂期を迎えている強靭で残酷な若い高校生の前には、フンと鼻息一つで吹き飛ばされるゴミのようなものである。

その日を境に、私は少しでもいやみを言われまいとしてびくびくしながらよさこいを踊るおばさんになり果ててしまった。

一人に嫌われると、なぜか他のすべての人にも嫌われているような気がする。

寒風ふきすさぶ中を仕事で疲れきった体に鞭打ちながら、恐い女子高生が手ぐすねひいている練習場に向かうのは実に惨めであった。

踊っていても全く楽しくない。ひとえにそんなやつに負けてなるものかという意地だけで続けていたようなものだ。

ある日、メンバーの一人でまだ十代と見受けられる人が、今までの成り行きに気付いていたらしく「つらいですよね。でも、最後までがんばってくださいね」というようなことを言ってくれたのである。

私はあまりの嬉しさに涙をこぼさんばかりであった。若い人の中にも私以上にしっかりした人がいると初めて知ってむしろ驚いた。

それからというもの、私はすっかりその人を、意地悪攻撃のバリケードと頼りながら練習するようになった。

常に肩で風を切って生きてきたつもりのこの先生の威厳は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる十代の少女の前に、もはや形無しである。

思えば、人から先生先生と言われてその気になっているだけの人生を半世紀近く送ってきたような気がする。人格を軽くあしらわれる事がこんなにも辛いとは思ってもみなかった。なんと狭い世界でしか生きてこなかったのだろうか。

(私って肩書きを取ってしまえば、世間から見ると単なるもたもたおばさんだったのね。ああ、知らなかった!)

私の周囲でも、医者や大学教授など先生と言われる人は一概に自尊心が強い。 それも現役の時なら支障はないのであるが、引退した後が問題となる。もはや先生であることなどなんの意味も持たないのにそれに気付かず自分だけはまだ他の人と違うと思うのだろうか、孤立して、周囲に迷惑をかけたり、淋しい思いをしている人が多いようである。

彼らも、人々の尊敬を受けて広い世間を股にかけて生きて来たようでも、人間関係という点では意外と小さい世界にしかいなかったのかもしれない。

こういうことも、歯周炎と同じで、若いうちに気付いて手を打てば何とかなるのに、たいていの人は自分だけは大丈夫と思って放っておく。

老いて症状が出だした時にはもうすでに手後れなのである。

私はと言えば、今までも患者さんにはかなり気をつかってやさしく接して来たつもりであるが、勘違いの自尊心で、仕事以外の生活の中では、自分を一段高い位置に置いていたのかもしれない。

 くだんの出来事以来、誰もに嫌われているような気がして本当に寂しい思いをしたので、普通に話かけてくれる人はすべて良い人に見えてきた。

 出来るだけいろんな人達と交流し、同等の立場で多くの人達と仲良くしたいと思うようになった。

 しかし、それは長い間、肩書きのぬるま湯にどっぷりと浸かってきた身にはかなり難しいことではある。

 けれど、「多分今からでも遅くないだろう」

 私にそういう事を、手後れにならないうちに気付かせてくれただけでも、あの女子高生に感謝すべきなのかもしれない
説明: よさこい



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